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  車がすれ違うには少し狭い住宅街の交差点をみつや達は左に曲がった。
 いつもの遊び場までもう少し、という所まで三人は差し掛かっている。
「ところで今日はなにをするんだ?」
 ハルトモの二人に着いてきただけのみつやはふっと湧いた疑問を口から出す。
 最初に自分に会いに来た理由は二人に聞いたが、具体的になにをするのか、まったく知らなかったのだ。
「後のお楽しみ、つってもそんな大したことをやるわけじゃないから気軽に考えていろよ」
 先んじて質問に答えたのは春信だった。
 軽々と春信が言ってのけるので、みつやはそれ以上、何も聞かなかった。
 いたずらされたり、からかわれたりしている時は別だが、みつやは春信の言うことを信じた。
春信の渋い声には人を納得させる力があった。
 
 しかし、朋康の声にそれはない。

「なあなあ兄ちゃん、俺にはなにをするのか教えてくれんだろ?」
 ぐちゃぐちゃに溶けたざらめ飴みたいに甘く絡みつく声を朋康は出す。
「駄目だ」
 弟の甘えを春信は一蹴した。
「はあ、なんで?」
「いつも言ってるだろ? おまえは信用出来ない」
「はあああああああ?」
 
 兄の素っ気ない態度に気を悪くしたのか、朋康は目を見開いてがなる。
 一瞬、みつやはハルトモの兄弟喧嘩が再び起こることを危惧したが、無用の心配だった。
 朋康は残念そうに肩を竦めるだけで、喚いたり、暴力に訴えたりするような真似はしなかった。
 思い返してみればハルトモの兄弟喧嘩はひっきりなしに毎日行われているわけではない。
 二人の喧嘩は、一度起こると迂闊に間に入ろうとした人間があおりを食うくらい過激だが、
決して仲が悪いわけではないのだ。そのことはハルトモの二人といつも一緒に遊んでいるみつやは良くわかっていた。

「そろそろ着くな」
 
 道の脇に住宅でなく木々が増え始めた頃に春信がそう言った。
 三人が良く遊ぶのに使う場所、林というのは文字通りの鬱葱とした木の群だった。
 馴染みの遊び場として三人がこの林を選んだのは最近である。
 とある夏の日曜日の午後に学校への行き帰りに使う近道を探すという名目で、
 みつやはハルトモの二人と一緒に自転車を走らせた。

「毎日だるいから俺達だけでぬけがけしようぜ」

 発端はハルトモのどちらかの一言だった。
 汗がぐっしょりと全身を濡らす猛暑の中、みつやはハルトモの二人に無理矢理、外に連れ出された。
 エアコンをキンキンに効かせて、部屋でだらだらしていたみつやは二人の思い付きをその時は呪ったものである。

 日中で最も気温の上がる午後二時から探し始めて、満足な近道を見つけた時には日が暮れ幾分か過ごし易くなる時間帯だった。
 三人が見つけた近道というのは実に画期的で、これまで一時時間近くかかる通学時間を半分の三十分に短縮した。
 なんでこの道を最初から通学路にしないのか、と朋康は息巻いたが、みつやはだいたいの理由を推測することが出来た。
 街の公民館の裏手を通り抜けるこの道は幅が狭くて車が通ったら危険な上に、木々に周囲をかこまれている為に
 日中でも暗く、見通しが悪い。なにか危険が潜んでいたとしても、なんら不思議ではない怪しい雰囲気があった。
 みつやとしては近道でも不気味なのであまり利用したくなかったのだが、ハルトモの二人にいつも無理矢理連れ出された。

「危ないからこそ、良く調べるんだろうが」

 そう言ったのがどちらだったのか、やはり今となっては判別がつかない。
 兎に角、ハルトモの二人に連れられて、みつやは暗い林に通うことになった。
 最初のうちは嫌で嫌で堪らなかったものの、何度も足繁く通わされるうちにいつの間にか平気になっていた。
 人間、ある程度のことは数をこなせば馴染むのである。
「相変わらず暗いな、ここ」
 林に着いて中に入り込む直前、聳え立つ木々を見渡しながらみつやは呟いた。
 まだ昼間だというのに林の中は先が見通せないくらい暗い。
 

 奥に何かいるんじゃないのか。

 
 闇に恐怖することはなくなったものの、得体の知れないものをみつやは林に感じていた。
「さあ、とっとと入ろうぜ」
 辺りの景観などお構いなしで陽気に朋康が言い放つ。
 それを合図に三人はぐずぐずしないで、淡々と林の中に脚を踏み入れる。
 すると、すぐさまに背後から三人を呼び止める声が響いた。

「待つんじゃあああああああ!」

 声はしわくちゃの紙屑みたいに擦れて、非常に聴き取り辛く、濁っていた。
だが、三人にとってこの声は既に聞き慣れたものであった。

「おい、どうする?」

 みつやが二人に尋ねる。正直に言うと、少し帰りたい。

「無視する、というわけにはいかないよな…」
 春信はくさくさと言い放って、つまらなそうに振り返る。朋康も続いた。
 みつやのささやかな願いは誰にも届いていなかった。
「なんだよ、俺達いつもここで遊んでいるだろうが、今更ケチケチするなよ、ハゲじい」
 自分達のことを呼び止めた人物に対して、朋康は馴れ馴れしく話しかける。
「ふん、いつもと違うからこうして声をかけたんじゃろうが」
 朋康にハゲじいとい呼ばれた人物は、そう言いながら顔を強張らせた。
「それにわしの名前は石野富士じゃ、良い加減に覚えろ、こんくそガキ!」
 更に怒鳴る。茹でた蛸みたいに顔を真っ赤にして唾だって飛ばしてくる。

 しかし、ハルトモの二人は強気だった。

「あんたの簡単な名前なんて覚えているに決まってるだろ、ジジイじゃあるまいし、人の名前なんてすらった頭に入るさ、なあ兄ちゃん」
「ああ、俺達はあえて名前で呼ばないんだぜ、ハゲじい」
 ハルトモの二人はお年寄りを好き放題に挑発する。
「ぐぅぅぅぅ、生意気なガキどもめえ」
 ハゲじい、こと石野富士は悔しげに唸る。
 このハゲじいというあだ名をつけたのは、意外なことにみつやだった。
 一本の残り毛すらないつやつやに輝く頭部を見た瞬間に、このフレーズを閃いてしまったのである。
 身体は痩せ細っていて深い印象がなく、目や鼻なんかもどうってことない為、ついハゲた頭に目がいき、
うっかり洩らしてしまったのだ。

 どうかしていた、とみつやは思わざるを得ない。
 
 ましてやハルトモの二人がその時の思い付きを使って、一人の老人を好く放題からかっているのを見ると、
心の底から自分の迂闊さを実感してしまう。
「まったく、どこをどう捻ったらこんなくそガキになるんだ、一回おまえ達の性格の屈折点を見てみたいわい」
 ハゲじいはカクカクと首を横に振る。
「で、お爺ちゃん、今日はどうして僕達を止めるの?いつもは何も言わないのに」
 ハルトモの矛先をハゲじいからそらすべく、みつやは口を動かす。
「やれやれ、おまえ達、テレビのニュースくらい見んか、結構近くで大きな事件が起きているというのに……」
 そう言いながらハゲじいはしんみりともう一度、首を横に振る。
 それから、眉毛をきりっと釣り上げて、大真面目な顔で説明をし始めた。
 

 この街の隣にある上橋市で行方不明になっている者が数多く、一つのニュースになっている。
 最初の行方不明者が出たのは、三ヶ月前だった。田中絵麻という上橋市在住の三十五歳の主婦がいきなり、
消えてしまったのである。家族や近所付き合いをしていた周囲の者達は、彼女がいなくなる過程を目撃していない。
 また、彼女の遠い距離にいる親しい者達も、行方をくらます理由やなにかに悩んでいるといった話を聞いていない。


 前触れなし。


 すっと上から修正テープを張ったみたいに、田中絵麻は確かに存在していたという痕跡を残したまま居なくなってしまったのである。
「家族は警察に捜索願いを出したらしいが、いまだに手がかり一つ掴めておらんらしい、女性は三ヶ月間、消えっ放し、
しかも、それと同様の行方不明者がなんと十三人もいる!」
 ハゲじいのどうってことない眼は血走ってすらいて、真剣な態度が火傷しそうなくらい溢れ出ている。
 みつやは軽く引いていた。ハゲじいが話に熱中している理由がわからない。
 そして、その行方不明になっている人が続出している、というニュースと林に入るのを止められることのどこに
関係があるのかも、不鮮明だった。
「あの、その話と俺達が林に入れないことのどこに関係が…」
 導火線に火をつけた爆弾みたいなハゲじいを刺激しないように気遣いながら、みつやは弱々しい口調で質問する。
「うつけが!」
 みつやの質問をハゲじいは力強く突っ撥ねた。
 あれ、そういえばさっきも朋康に怒鳴られたような気がする。
 みつやは既視感と怒鳴るハゲじいの迫力に気圧されて、たじろいだ。
「ここは林じゃ、街のど真中にある公園とはわけが違う、良いか、ここはまだ人の手の入っていない未開の地、隠れるには
うってつけじゃ、今行方不明になっている人々を連れ去った輩が潜んでいてもおかしくないじゃろうが!」
 気合負けしたみつやのことが見えているのか、はたまた、最初からその眼は何も捉えていないのか、ハゲじいは益々熱量を
放出しながらまくし立てる。
 みつや達とハゲじいの出会いもこの様な感じだった。


 林で三人遊び始めた頃のある日、背後から例のしわくちゃ声で呼び止められたのである。
 最初は喧しい説教ばかりしてきて、三人はさぞ煙たかったが、たまにお菓子や飲み物をくれたり、面白い話をしたりする時もあり、
そうそう邪険にはしていなかった。だが、今回のハゲじいの話は乱暴だった。

 さっきハゲじいが話したのは、あくまで連続で行方不明となっている人が出ているというだけで、
まだ誘拐されたと決まったわけではない。容疑者なんてその存在もあやふやだ。  
 
 仮にこの行方不明になった人々が誘拐されていたとしても、犯人がこんな所にいるわけはない。確かにハゲじいの言う通りに
この林は隠れるのには適しているのかもしれない、が、滞在するには不都合な要素が多過ぎる。ましてや、誘拐犯ならば
いつ逃げ出すかわからない人間を最低でも一人は相手にしなくてはならないのだ。柵も鍵も扉もない、誰でも簡単に出入りが
可能なこの場所に身を落ち着かせるわけがない。それでも、もし、この林に誘拐犯がいるとしたら、誰も閉じることの出来ない場所に
栓を差せる者である。

 どうしよう。いきなり話に脈絡がなさ過ぎる。

 興奮するハゲじいを尻目にみつやは頭が痛くなった。細かいことは良くわからなくても、ハゲじいが矛盾していることは
なんとなくわかった。でも、それを口に出す気はみつやに一切なかった。

 みつやはさっさと家に帰りたいのである。

 ハゲじいの言っていることがおかしいとはいえ、わざわざ反論して自分の希望の妨げになるようなことをする程、
みつやは馬鹿ではなかった。それに強いて間違いを正さなくても、ハルトモの二人が頭ごなしの命令に対して
黙っているわけないのだ。

「おい、ハゲ、おまえの言いたいことはわかった、だから、黙れ!」

 声を振り立てて喋るハゲじいに対抗して、朋康もでかい声で叫んだ。

「なんじゃと、ならば、さっさと帰れ!」
 頑としてハゲじいは上から強圧に言い聞かせる態度で押し切ろうとする。


 逆効果なのにな。


 みつやはハゲじいと朋康の顔を見比べた。
 真ん丸い顔を精一杯、膨らまして叫んでいるハゲじいに対して、朋康は余裕綽々に垂れた目を開いている。
 この状況を朋康は楽しんでいるみたいだった。
「ハハッ、嫌に決まってんだろ、ジジイ」
 朋康はサクサクと首で笑う。
「むしろ、ここにその誘拐犯って奴がいるならますます入りたくなったぜ、俺がその野郎をやっつけてやるんだ、ウォオ!」
 そして、両脚を軽く開き、やや前向きに背中を傾けて、誰かを抱え込む体制をとる。

 朋康、既に戦闘状態である。冗談なんかではなく、本気で誘拐犯とやらと戦うつもりなのだ、朋康は。

「このクソがき、おまえなんかが勝てるわけ…」
 ハゲじいは顔にくっ付いている小さな唇の右側を釣り上げながら言う。
 だが、最後まで言い終えるより前にハゲじいの口は止まってしまった。
「うるぅあ!」
 朋康がハゲじいの鳩尾に容赦なく拳を叩き込んだのである。
 荒唐無稽な発言をしている時の朋康こそ危険だ。
 他人が聞いたら質の悪い妄想としか理解しないことでも朋康は自分ならば可能であると信じている。
 なんの注意もなく、我が物顔で否定したりすると、手痛い逆襲に遭う。
「おぶ!」
 朋康の拳は強力だった。まさか殴られるとは思っていなかったのだろう。
 ハゲじいは予期せぬ衝撃に苦悶の表情を浮かべて崩れ落ちた。
「ハッ! 俺様を舐めるからそうなるんだよ」
 悪怯れる様子一つ見せずに朋康は勝ち鬨を上げる。


 いや、くわばら、くわばら。


 朋康に殴られて、ハゲじいが倒れる一部始終。
 みつやは起こるべくして起きた厄災が自分に降りかからなかったことを影ながら喜んだ。
 浅田朋康というのは、人間の皮を被った野生児なのである。
 つまり狼、もしくは虎、はたまたライオンなのだ、朋康の中身は。
 みつやは朋康の牙にかかって、手痛い目に誰かが遭うのを何度も見てきた。
 腕を噛まれるくらいのことはみつや自身もやられている。いつも良くわからない理由で朋康の暴威は振るわれる。
 近くにいるみつやはだいたい気が気ではなかった。
 一方、最も近くにいる春信は朋康のやり口を誰よりも理解している。

「悪いな、ジイさん、弟の朋康が無茶して…」

 地面に両手を付けて苦しそうに呻いているハゲじいを見下ろしながら春信は言った。
 発言の内容だけならば、ハゲじいのことをいたわっているように聞こえるが、
 その真意は別にあるということは春信の表情が語っていた。

 さっきの朋康と同様に春信も笑っているのだ、楽しげに。

「あんたの忠告はありがたいが、聞き入るわけにはいかないんだ、その誘拐犯とやらが本当にいるならば、
会いたくてここまできたんだからな、俺は」
 重たい雨が止んだ次の日の晴れ間のような爽やかな声で春信はハゲじいに囁いた。
 それは、残忍で確実な追い討ちだった。

「おのれ、くそガキ……」

 密度の濃い怨嗟の声をハゲじいは放つものの、春信は意に介さない。
 くるり、と背を向けてしまう。
「さて、行こうか? 二人とも」
 ゆっくりと最初の一歩を踏み出してから、春信が呼びかける。
「オッケー、兄ちゃん!」
 朋康も陽気に着いて行く。
「恐ろしい奴等…」
 みつやは二人に聞こえないくらい小さな声で呟いた。
 未だに立ち上がれないハゲじいに同情するものの、なにかしてやろうとは思わない。
 みつやにとって大事なのは、ハゲじいの身よりもハルトモとの繋がりだった。
 とぼとぼと二人を見失わないようにみつやも林の中に脚を踏み入れた。
 暗く、そこそこの大きさの林は日が落ちるにつれて連綿と影を落としていく。小さな入門者達を林は待ち受けているのだった。